こんにちは! 本橋へいすけです。


本橋へいすけって、どんな人かな〜?
普段なにやってるの?


って、よく聞かれたりもするので書きました。


1、ギタリスト、シンガーソングライター

2、オリーブオイルソムリエ

3、元外資系金融機関のシニアマネージャー

4、自由に仕事をして、好きなことをして暮らしている今




についてです。
長文ですので、ご興味があれば読んでみてください。


東京出身です。


2013年6月、東京から福岡県糸島市に移住しました。


住んだことある街は、東京、愛知、京都、大阪、福岡。
地方移住の流れが加速してます。


移住の中でも、これだけ複数の街に住んだことがある人は、めずらしいのではと思います。



旅行も好きで国内は、47都道府県中40は行きました。 
死ぬまでにすべてまわりたいなぁ〜。


1、ギタリスト、シンガーソングライター



ギターを20年くらい弾いてます。
ブルースやソウル系のギタリストから強く影響を受ける。


ジャズギタリストの岩田
美智夫氏、山口友生氏に師事。


ジャズ系のテンションコードを主体としてながら、ポップなオリジナルバンドのリーダーを務める。



その他、多数ミュージシャンとの共演、シンガーのサポートを行う。



糸島移住後、心の変化をきっかけに、人の心を癒していきたいと、シンガーソングライターとてしも活動を始める。
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2、オリーブオイルソムリエ


 オリーブオイルソムリエの肩書きも持っています。
一時期はテイスティングの講座や、飲食店とのコラボセミナーをしていました。
のんでるぜ



日本オリーブオイル界の最高峰、オリーブオイルマスターソムリエの講座も受講。
オリーブオイルソムリエ協会の理事長面接も合格しました。


あとはティスティング試験に合格すれば、数少ないマスターソムリエ。
しかし糸島移住を機に、ここの暮らしが心地よすぎて、、、


マスターソムリエになるという情熱は、しぼんでいきました。
オリーブオイル愛は、今も変わりませんよ〜。


最近はもっぱら自分で楽しんだり、親しい友人とのホームパーティーでオリーブオイルを使ったコースを振るまうくらいです。
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3、元外資系金融機関のシニアマネージャー



元外資系大手金融会社のシニアマネージャー。
上京して売れないミュージシャンをしていたころのバイト先。



25歳の時に生まれて初めてボランティアをしました。


自閉症やダウン症などの人たちがいる、障害者施設。
年に1回の泊まりがけの旅行。


スタッフは足りません。
たまたま、施設に務めている人知り合いだったぼく。


「ボランティアなんだけど、手伝ってくれませんか?」


「はい、ぼくでよければ〜。」


ちょうどボランティアに興味が出てきたときだったので、即答。



そのことが、ぼくの人生観を大きく変えました。



東京から長野へ向かうバスのなか。
高速道路で、カラオケを歌う子たち。


「う〜〜」


とか


「あ〜〜」

とかしか、言葉になっていません。
メロディーも奏でているとは言えません。


ただみんな、とってもキラッキラした顔で歌っていました。


それを見たときに、


自分が演っている音楽ってなんだろう、、、


っと、思ってしまったのです。


以後、音楽は一生懸命やるものでもなく、かと言って止めるものでもない。
自分のペースで楽しく行えればいいと思うようになりました。


演奏の依頼も、やりたいのは引き受け、やりたくないのは、まわりのミュージシャンにふるようになりました。


もっと人の生活に密着したことで、人の役に立つことをしていきたいと思いました。



ちょうど、自分が働いてた職場が保険という、人の人生に関わる仕事。
病気や死について考える仕事。


コールセンターのただのオペレーターだったぼく。
適当に仕事をしていましたが、本気でやろうと思ったのです。


そんなときに、たまたま上司から


「ちょっと管理者やってみない?ていうか、来月から。うん、もう決まってるから!」


と言われ、なんだか納得しないうちにやることに(笑)


そしたら、自分がプレーヤーとして、数字を取るよりも、人に教えてその人が成功して、喜んでる顔を見る方が、合ってたんですね。


仕事が楽しくて、楽しくて。


とは言え、最初からうまくはいきません。


自分の任されるチームの人数が10人くらい。
ほとんどが年上。
なかには、自分よりも10歳も20歳も人生の先輩が部下になるわけです。


オペレーター時代、適当に仕事をしてたはいえ、本気でやった月は、125人中3位になったこともあり、自信はありました。



オレのやり方でやったら数字は上がる



って、、、


でもね、人は感情で動くもの。
人生の先輩に自分のやり方を押しつけてもぶつかるだけ、、、


数字も、チームも一丸とはなりませんでした。


そこから、マネジメントやコーチングの本を読みあさりました。
勉強というより、ただ必死でした。


人より、スタートがだいぶ遅れた社会人。
その遅れを取り戻さないと、というあせりもありました。


徐々に結果も出てきました。
いつしか、社内でも有数の常に達成するチームとなりました。


加えて、他のチームでマネジメントが難しかった、いわゆる「問題児」と言われる人たちが、ぼくのチームに続々と配属されるようになりました(笑)


まぁ、会社とはそんなもんです。


でも、「問題児」と言われる人って、ぜんぜん問題児じゃないんですよ。


ただ、単に会社のいっぺんとうのやり方、マニュアルに納得していなかったり。


会社の問題点をはっきり言ってくれる人もいました。
こういう人は、逆にありがたいです。


ちゃんと話を聴いて、その人にあったやり方でいっしょに仕事をしていけば、ものすご〜く結果を出してくれるんですよ。



ぼくが会社では上司であっても、人生では上司ではない。



「教える」というより、「いっしょに仕事をつくる」というイメージでしょうか。


「今月は本橋さんのためにがんばる!」


とか言われると、顔で喜んで、心では感動して泣きそうになります。


そんなこんなで、チームのメンバー、上司の人にもとても恵まれ、良い成果を出し続けることができました。


職位としても、コールセンターのSV(スーパーバイザー)から、マネージャーに上がり50人規模の組織を統括することになりました。


その後、部署移動で、営業教育課や、訪問営業、ショップと携わりました。
業務も新規事業の立ち上げ、既顧客向けの部署の立ち上げと関わることができました。


最終職位としては、シニアマネージャーとして100人規模の組織を統括。


いい職場でしたが、将来の自分のライフプランを考えたときに、ここではないと思い退職しました。



4、自由に仕事をして、好きなことをして暮らしている今




退職したときは、次を決めてなかったです。
まぁ〜なんとなかなるかな〜と思い、3ヶ月くらいゆっくりしました。


仕事をするうえで、違う職種に就いてキャリアップしたいという気持ちと
今までハードワークだったので、少しギアをゆるめて生きたいという気持ちがありました。


結果的には後者を取りました。


会社勤めではありますが、自分の休みは自由に決めれます。
出かけるのは人が少ない平日。
みんなが休んでるときは働いています。


糸島に移住してから、また別の想いで音楽への情熱が高まりました。
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糸島愛も深まるばかり。


ライブをしたり、糸島のイベントを主宰したり。
休みが自由なので、イベントのときは土日も休みます。


糸島の暮らしが心地良すぎて、自分だけで楽しむのはもったいない。
いつしかそう思うように。


自分はたまたま福岡に土地勘もあった。
知り合いもたくさんいた。
音楽がやってるから、移住後も友だちや知り合いが増えた。


でも、ふつうはこうはいかないよな、、、
人生も遠回りばっかしてきたな、、、
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そうだな〜



必要な人に伝わればいいな
移住をいつかしてみたい人の参考になれば
自分の経験したことで人の役に立つこともあるかもしれない
人生に迷っている人になにかヒントになればいいな



という想いで、このブログを書いています。



長くなりましたが、読んでいただきありがとうございました。